レモンタルトの夢

イラスト、写真、お話しなどを載せています。時々根尾くん♪

「薄情くじら」田辺聖子

45になる木津正和の、家での最近の口癖は
「勿体ない」「神さんのバチが当たる」。
8つ下の妻が何でも躊躇なく捨ててしまうことが
気になって仕方がありません。


そんな木津の好物は鯨肉。
木津は「鯨は捨てるところがない。」と言って
妻や子供たちから「お父さんのケチ」などと
言われてしまいます。


木津の鯨肉の思い出は
亡き母に繋がります。
母は鯨のコロと水菜の「ハリハリ鍋」を食べる時、
木津の父親である、別れた亭主の悪口を言うのでした。
「あんな薄情な男はおらへん。
正和、お父ちゃんの事、一生恨んだりや・・」


木津自身は
幼い頃に別れた父親の記憶は全くありませんでしたが、
母親の父親に対する悪口は
木津が大人になっても変わりませんでした。


ある日、木津は京都に行った際、
市場で鯨のコロを見つけます。
いそいそ買い求め、家に帰るも
どう料理したらいいか分りません。
「適当に煮いて(たいて)みようか」と思っていた矢先・・


木津の会社に「老人ホーム」の職員だと名乗る
瀬川まゆみという若い女性が
訪ねてきました。


聞けば、入居していた木津の父親が亡くなり、
もう葬儀は父親の息子がすましていると。
木津の父親は、再婚して息子が出来ていたのです。


父親は「自分にはもう一人息子がいる」と
常々ホームの職員たちに木津の写真を見せて
自慢していたといいます。


職員の女性から手渡された写真は
幼い頃から中学まで何枚もあり、
一枚のメモに木津の就職した会社の名前が記されていました。


木津は知りませんでしたが、
母親は、別れた亭主に
息子の写真をずっと送り続けていたのでした。


「大人しい手のかからないおじいちゃんで、
亡くなる前に鯨のコロが食べたいとおっしゃって
私が煮いて差し上げたんですよ、とても喜んでくださって・・」


写真を上着に仕舞うと、
木津は顔も忘れた父親と
「鯨はうまいなぁ」と言い合って
酒を吞むような、
温いものが胸に広がるような気がしたのでした。



おわり