レモンタルトの夢

イラスト、写真、お話しなどを載せています。時々根尾くん♪

「怒りんぼ」田辺聖子

夫の喬は私のことを「怒りんぼ」と言う。


喬と私は結婚して二年。
私たちは私の実家のそばにアパートを借りて
二人で暮らしている。



☆☆☆


その日、私と喬は
人気の和菓子屋に菓子を買いに出かけた。
そこの主人はいつも横柄な態度で
ともすればお客は叱られてしまう。
私が菓子を「10個」と言いかけて
「20個」と変えたことから
主人に「はっきりしろ」と怒鳴られ、
つい言い合いになってしまった。


喬は慌てて私を止め
「まぁまぁ」とにこやかに
間に入り、菓子を包んでもらうと
私を店の外に引っ張り出した。


私が安心して「怒りんぼ」になれるのは
そんな風に喬が取りなしてくれるからかも
しれない。


☆☆☆


私には亜以子という友人がいる。
亜以子は独身の美女で
私の自慢の友達だ。
喬にも早くから紹介していて
うちのアパートの部屋で
三人一緒に食事することもある。


和菓子屋に行ったその日の晩
私と喬と亜以子の三人ですき焼きをつつきながら
私が「怒りんぼ」であるという話題になった。


亜以子は私が「正義感から怒るだけ」と言ってくれた。


喬は「カッしても、その時は我慢して
次の日に怒る様にしたら」と。


私は「そしたら余計腹が立つ」と言って
三人で大笑いした。


亜以子が帰った後、
その日買った菓子を渡すのを忘れたことに気が付き、
喬が亜以子の後を追ってくれ、
菓子を渡してくれた。


☆☆☆


その後、
亜以子は「稽古ごとがあるから」と言って
パッタリうちに来なくなった。


そして喬も仕事が忙しくなり
帰宅が遅くなることが増えた。


☆☆☆


ある日突然喬が「家を出たい」と言い出した。
亜以子と暮らすためだと言う。


私は喬に怒ることが出来なかった。
これからは怒っても
「まぁまぁ」と言って私を宥めてくれる人は
いなくなるのだ。


喬が
「どうして怒らないんだ。
あの菓子屋のオヤジにもあんなに怒ったのに。
俺が、カッとしても、次の日に怒る様にしたらと
言ったからか」と聞く。


それでも私は怒ることができない。
一日置いたら怒りは悲しみに変わるだろう。


あんな風に怒ることができたのは
私が「悲しみ」を知らなかったからなのだ・・。