レモンタルトの夢

イラスト、写真、お話しなどを載せています。時々根尾くん♪

「ひなげしの家」田辺聖子

母の妹の枝折叔母さんは
バー「シオリ」を経営していて
妻子持ちの男性と
一緒に暮らしていました。


叔母さんの家は高台にあり、
窓からは神戸の海が見えました。
時期になると庭にひなげしの花の咲く家。


叔母さんの相手のおじさんは
絵描きで(実際は商業デザイナー)
いつも眠そうな眼をした、大柄で
大人しい人でした。
叔母さんは38歳、おじさんは40過ぎていました。


私は時折叔母さんの家で鉢合わせする
おじさんの甥の正彦さんに恋をしていました。
正彦さんはおじさんを(ひいては私の叔母さんも)
軽蔑しているように思えました。


ある日、私と正彦さんは
与謝野晶子の
「ああ皐月 仏蘭西の野は火の色す
君もコクリコ 我もコクリコ」という歌のことを
話します。


私はこの愛の歌が好きなのですが、
正彦さんは
「子供が7人もいる中年夫婦にこんな愛情が
あるわけがない。プロのテクニックやな」と
言うのでした。
正彦さんは弁護士を目指して
司法試験を受けようとしているような人で
私は正彦さんに反論できませんでした。
私はまだ二十歳にもなっていませんでした。


叔母さんは料理は上手だけど
掃除は嫌いで
私は時々、お掃除しに叔母さんの家に通っていました。
そんなある時、部屋に入ろうとすると
叔母さんとおじさんが抱き合って泣いていました。


「心配しないで。私も後から行くから」


「本当かい?あてにならないな」


おじさんはそう言って泣き笑いしました。


おじさんは自分の部屋に入り、
叔母さんは何でもないような様子を取り繕って
いました。


一体何だろう・・
でも
「いい年して抱き合って泣いたりして・・」と
私は少し思ったのでした。



その後、
おじさんは病院に入院して
たった二か月で亡くなりました。


病室におじさんの奥さんがやってくると
叔母さんは「用事があるから」と家に帰り、
おじさんの後を追いました。
ひなげしの咲く家で。



私は今になって思うのです。
年いった人の恋も
晶子の「コクリコの歌」のように
烈しいものなのかもしれないと。


正彦さんとは会うこともなくなってしまいました。


私は生涯のうちに「愛し愛される相手」に
めぐり会いたいと思っています。


そんな恋はもしかしたら
叔母さんのように40.50になってから
訪れるかもしれない・・。