レモンタルトの夢

イラスト、写真、お話しなどを載せています。時々根尾くん♪

「愛の缶詰」田辺聖子

(どうしてこんなに越後先生のことが
好きなんだろう・・)


私は市立高校の図書室に司書として
勤務していました。


越後先生は国語の担当教員で
よく図書室に出入りしていました。


越後先生はバサバサの艶の無い髪をしていて、
ずんぐりした身体のもっさりした独身男性で、
渾名は「じゃがいも」。
でも生徒たちには静かな人気がありました。


先生と私は同じ町に住んでいて
仕事帰り、電車から降りてから
20分ほど喋りながら歩くこともありました。


先生は周囲に口数の少ない人と思われていましたが、
私と話すときは饒舌になりました。


「遠田さんとだと、口が軽うなるねん。なんでやろう。」


(それは私が先生を好きだから。
先生は気が付いていないけど
その思いが先生に届いているから)


口には出さないけど私はそう思っていました。


私は同僚のミキに
うっかり「越後先生ってええわぁ」と
話してしまいました。


ミキはコネで学校に入って来た子で、
有力者のおじさんがいることを
鼻にかけていて、
他の女子職員たちに陰で嫌われていました。
でも男性職員には
人気がありました。
ミキは
男性の前ではしおらしい態度で、
優しい声を出す女でした。


「あんなしけたじゃがいもの、どこがいいのん」


そう言うミキに私はつい越後先生の好ましく思われる点を
あれこれ喋っていました。
私は喋り出すと止まらない癖があります。


「ふーん、これから越後先生のこと注意して見てみよ」
ミキはそんな風に言うのでした。


夏休みのある晩、
町内の盆踊りの夜、私は浴衣を着て
越後先生の家を訪ねました。


でも盆踊りには行かず、
ふたりで自然公園を歩くことにしました。


「公園でアベックが襲われるなんていう
ニュースがありますから・・
そうなったら、先生私を守ってくれます?」


「もちろん、死を賭して守るがな。
君は陽気な子やな。
誰とでもすぐに漫才ができる。」


(先生、漫才なんて嫌です)


私はそう言いたかったけど黙っていました。


先生が「陽気な子だ」というなら
陽気に振る舞おうと
そんなことを考えていました。


☆☆☆


ところが
ある日、越後先生がミキと結婚するという噂が
耳に入りました。


私は図書室に来た先生に
聞いてみました。


「先生、結婚するんですか?」


「まだせえへんよ。相手がおらん。
遠田さんがしてえな。」


先生はまるで漫才の相方に話すような親しみを込めて
私に言うのでした。


先生とミキは翌年の春に結婚しました。



☆☆☆


何年も経って、私は先生とミキのふたりに
映画館でばったり会いました。


先生は老けて、じじむさく所帯じみた中年に
なっていました。
私に「懐かしいなぁ」と言う先生を
これまた老けたミキが引っ立てて
前の方の席に行ってしまいました。


二人の様子を見て、
どうもあまり幸福そうではない
先生の結婚生活を思いました。


先生の顔は
私に懐かしい、切ないような気持ちを
もたらしましたが、
それは無論あの頃の純粋な結晶のような想いとは
違っていました。


あの想いは私の中では
缶詰にされていました。


その缶詰は空気の缶詰と同じで
開けてみても何も見えず
何の音もしないかもしれない。


私はそう思うのです。